四国ツーリング(8) 土讃線、長沢堰堤

昨年11月の四国ツーリングでの話題を懲りずにUPします。

大歩危小歩危付近を走行し渓谷の写真を撮っているとき、対岸に線路が通っていることに気づきました。鉄道に疎い私はこれが何線かも知りませんでしたが、後で調べてみると土讃線ということが分かった。帰宅後、Wikipediaで調べてみると大歩危小歩危付近は昭和9年~10年に開通しているらしいことも判明、昭和初期にこんな険しい渓谷の斜面に線路を敷設するなんて、なんとも凄いことだなあと感心してしまいました。

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渓谷の写真を撮っていると遠くから列車が通る音が聞こえます。レンズを望遠にして構えていると、かなりの速度で列車は走り去りました。もっとゆっくり走らないで大丈夫なのかい?と心配になるほどです。Wikipediaによれば、この辺りは車窓から絶景が楽しめる路線として有名だとか、でも近年トンネル化が進んで景色みられる範囲が減っているとも書かれていました。いつまでもこのまま残って欲しいような気もしますね。

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もうひとつ、四国で出会った昔の土木技術力を感じた施設を紹介します。UFOラインに向かう途中のR194から吉野川の上流に向かって県道40号線をたどってみました。すこし進むと堰が現れます。

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更に進んで行くとダム湖が見えて来ました。山間いにある落ち着いた場所にあるダム湖です。正式名称は湖では無く、長沢貯水池と呼ぶようです。
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ダムの所まで戻ってみると、長沢堰堤との表示。読めなかったの調べました。
「えんてい」と読むようですが、ダムと同意のようです。
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近くにあった記念碑、石に手彫りなんでしょうか?かなり古い感じです。

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大きいサイズで字が多少目立つように加工してUPしておきますので、木が向いたら読んでみて下さい。第2次世界大戦初期にあたる1940年(昭和15年)から戦後間もない1949年(昭和24年)までの9年間で建設されたらしいです。こんな山の中に当時のトラックで資材を運んだのだろうか、道路だって舗装路じゃないよなきっと、犠牲者も大勢出たのではないか、石碑には書いていないが大変な苦労をしのばせる内容が掛かれていました。以上、四国遺産と感じた2か所でした。

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